技術部の課長から海外で工場長として勤務して苦労したこと

家電製品の技術者として20年以上働いてきましたが技術部の課長から海外生産拠点の工場長として単身赴任になりました。急な話しで、言われてから一日で返事をしなければならない状況でした。管理職なんで断ることもなかなかできません。

辞令も正式にはなかなか出ずに、引継いだり、新しい職種に対処していくための基本知識を得る時間も与えられず、ひと月ほどでフィリピンに渡りました。とにかく現地のメンバーは殆どフィリピン人であるため、通訳はつけてもらいましたが、きちんとこちらが話した内容が伝わっているのかがわかりません。

また組織的に縦割りであることから、運営がうまくいっていない様でした。現地人の責任者たちが責任のなすり合いをしています。前任者も非常に苦労していた様で、会社を辞める辞めないの話になって、私にこの仕事が回ってきたことは後で知ることとなりました。

技術部の責任者として対処していた仕事範囲が一気に広がり、工場の経営的な課題、人事の課題、品質問題や納期の遅れ等に対して、最終責任者として判断しなければなりません。毎日が戦場の様でした。その上に日本の現場を知らない人達からの無理な注文にも対応しなければなりません。

電話で日本人と喧嘩に近い言い争いをしたり、現地のフィリピン人の愚痴を聞いたり、こんなに精神的にストレスが溜まったことはありませんでした。結局無理をしまくって身体を壊して一年ほどしか仕事は務まりませんでしたが、グローバル的な視野で海外で働くことの厳しさを痛感した一年でした。グローバルで働くためには外国語能力等はほんの一部の必要能力で、結局は人間力が必要です。